2018が始まりました。
またすっかり書かない日がつづいていました。
昔から変わらない自分に、あーぁ、とため息をつきながら。
さて、新年が始まりました。
いろんな目標を考えたりして動き出した人もいらっしゃるかな?
新年。
年末にはいろんなことを振り返り、反省なんかもしたりして。新年には気持ちを新たにと意気込んでみたり。
去年の秋から、マヤの織りを研究されている星野さんの元で、原始機を学び始めました。
2017年の3月、サルデーニャでキアラさんが下さった言葉。
「機織りと女性は深いところで繋がっているのよ」
日本に戻ってからも、その言葉がゆっくりと頭の中にずっと残っていた。
サルデーニャに経つ前に、お土産の為に本屋さんへ立ち寄ったときに、星野さんの原始機の小さな本を見つけ、「あっ、星野さんだ」と購入してしていて、サルデーニャから戻ってから開いてみた。そこには原始機の説明が写真と絵で書かれていて、あとは、星野さんご自身が何故こんなに原始機に惹かれ、現在もなおそこに携わっているのか、ということに触れた文章が書かれていた。その中に、今回の旅先でキアラさんが話されていたことと重なるような言葉を見つけた。
「」
沢山の技法を知りたいという欲はあまりなくて。織りを暮らしに取り入れてみたときの自分の心や身体がどんな影響を受け、どんか変化が起こるのか。それを感じてみたい。そんなことを思っている。
民俗学的?文化人類学的?なんと表現したらよいのだろうね?
そんな気持ちで、秋から始めた。
完全なる直感から習うことを決めた。この感じは、イタリア語を学び始めた時と似ている。何の根拠もないのに、絶対的に「今、やるべきだ!」って。
この時が1番間違いのないことだと身体は知っているような気がする。
昔、前世が、イタリア人だと言われたことがある。だから、直感で始めたイタリア語も前世の記憶が蘇って、すぐにペラペラ話せるようになったりして!なんて、調子の良いことを思ったけれど、そんなことは全くなく、全然わからなくて、涙した日だってあったほど。
この機織りにしても、その反省が活きていないのが残念ながら自分らしくもあって。
いろんなご縁から、今機を織ることを始めること。それが見えないなにかから導かれているように思えることがあって。そうなのだとしたら、最初からすごく上手に出来たりして!と。まぁなんと残念な思考回路。まだ教室へ通い始めて4回。そんなことは夢ただの夢であることを既に身にしみて痛感している。もう自分に対して、失笑しかない。
機を習い始めて少し経つ中でも、色々感じることがある。
中でも感じるのは、自分の暮らしぶりが恥ずかしいくらいに表れるということ。もうね、情けないったらないくらい。
日々コツコツと織る時間を続けなければ、機は進むわけもなく、焦って間に合わせようとすると、注意散漫になりミスをしたり、幅や密度に表れる。日々コツコツ織る時間を設けるには、日々の時間の使い方をちゃんとできてなければならないし、ましてやダラダラなんてしていたら、コツコツ時間は一瞬でダラダラに消えてしまい織りを進めることなんて到底無理になってくる。
仕事が家事がとか、忙しいからとか。そんなのはただの言い訳であって。そんな中でも1日に少しだけ自分の為の時間を作る習慣。そこをすぐに諦める甘さを律する強さが(そういうことが苦手な私にとっては)とても必要になる。そうしないと、すぐにのんびりしてしまい、織りすすめることができないという残念な結果にしかならなくて。そんな訳で、「織り」から、今の自分の時間の使い方のをまざまざと見せつけられているところなのである。でもその時間はとても必要なことで。現状を知ることから全ては始まるからね。
自分の時間の使い方を観察することで改めて気付くことは、当たり前ではあるけれど、「時間には限りがある」ということ。そして、その中でできることにも限りがあること。そうなると、その限られた時間に何がしたいのか?と考え始める。自分の人生の中に、これは外せない(=人生にとって大切)ことを見つめ始める。
きっとその答えはもう自分の中にけっこう明確にあることはなんとなく分かる。でもそれを選びきる潔さをもつのはなかなかできなかったりして。大切なことを取捨選択すること考えて過ごしていると、いったん頭はカオス状態に。持ち物を一旦全部外に出して、そこから必要なものだけを戻す作業。
2018年の始まりは、そんな作業から。
まず織る作業の前に、生活の中に織りを取り入れための準備を始めるところから。
そんな中、教室で織り上げたものが3つ。
幅を揃えること、打ち込みの力加減、整経の時の糸の張り具合...etc.
説明の意味は理解できるし、やってみるんだけど、びっくりするほどできなくて、笑えてくる。
身体が覚えていく様子、身体の感覚と思考を繋げていくには、それだけの経験と時間が必要なのだなと思う。そして、その感覚は自分にしかないものになっていくんだと思う。身体で覚えているものは、誰にも奪うことのできない自分だけの宝になるのではないかと想像している。
織りから感じることも少しずつ綴っていこうと思う。
2018年もよろしくお願い致します。
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by nanalight
| 2018-01-20 08:19